<双葉町職員>線量計持たず警戒区域で捜索活動

2013年03月18日 12:29

警戒区域内で防護服を身につけ、行方不明者を捜索する警察官=福島県浪江町で2013年3月11日、小出洋平撮影

 東京電力福島第1原発事故後の11年4~5月、警戒区域で津波の行方不明者の捜索に立ち会った福島県双葉町の職員3人が、不十分な装備のまま線量計も装着していなかったことが分かった。3人に対しては今も累積被ばく線量の推計などは行われていない。専門家は「警戒区域の放射線量が高いのは、その段階で周知の事実。適切な指示を出さなかった行政の責任は大きい。きちんとした(被ばく線量の)追跡調査を行う必要がある」と指摘している。

【町職員が当時の実態を語る】

 ◇11年4~5月、双葉町職員3人

 当時、国の原子力災害対策本部は、警戒区域に立adidas ち入る際の基準を法令に基づき定め、線量計の携行や防護服の装着などを求めていたが、原発事故から1~2カ月後も行政が混乱していた実態が改めて鮮明になった。

 同町職員によると、11年4月22日~5月19日に30~50代(当時)の男性職員3人が交代で警戒区域にある同町中野地区などの沿岸部で警察や消防の捜索に立ち会った。隣接町との境界付近で遺体が見つかった際、発見場所がどちらの町かを判断する役割。捜索場所で回収した位牌(いはい)やアルバムなどの流出物を預かり、役場の保管場所へ運ぶ業務も担った。

 職員らは捜索立ち会いを命じられた際、役場から線量計の装着や被ばく線量の評価・管理について指示や説明は受けず、防護服も渡されなかった。当時、双葉町の役場機能は埼玉県加須(かぞ)市に避難しており、避難前の役場には線量計の備蓄があったが、地震ですべて破損していたという。

 福島県警はこの時期、警戒区域の捜索では防護服などをフル装備した上、1グループに2台以上の線量計を携行させ、外部被ばく線量を県警災害警備本部に報告させていた。事前と捜索中には安全管理サポート班が現場の空間放射線量も測定。県警によると、警戒区域を含む双葉署と南相馬署の管内では11年3~5月に延べ約2万5700人が捜索に当たり、外部被ばく線量の累積は全員5ミリシーベルト以下(一般人の年間被ばく線量アディダス スニーカー 限度は1ミリシーベルト)だったという。

 双葉町の大住宗重・秘書広報課長は取材に対し「事実関係を確認したい」と回答。新藤宗幸・千葉大名誉教授(行政学)は行政の責任や追跡調査の必要性を指摘した上で「他の原発立地自治体でも原発事故は起こり得るという前提で、この種の危機管理対策やマニュアルを作っておく必要がある」と指摘している。【袴田貴行】

 ◇警戒区域での捜索活動◇

 11年4月以降、福島第1原発の半径20キロ圏は警戒区域に指定(後に一部解除)され、立ち入りが制限されている。福島県警によると、区域内での活動については法令に基adidas スニーカー づき被ばく管理するよう国から通知されている。具体的には線量計を携行した上、防護服や放射性物質防護用マスク、ゴーグル、二重手袋、足カバーなどを装着し、放射性物質を取り込まないようガムテープで隙間(すきま)をふさいでいるという。

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